二〇一六年六月一四日

歴史研究と学問的真理の関係

山口多聞記念国際戦略研究所 菊地 英宏


「国家は、何のためにできたのか」は歴史研究にとって重要なテーマの一つである。そして、この時代は、まだ、国家と呼べるものはなく、集団生活が始まり、指導者が生まれ、思想家が生まれ、やがて、などといういきさつが纏められていく。

 

このような研究は、歴史研究にとって大変意義のあるものである。

 

だが、一方では、学問的真理に基づくアプローチも存在する。それは、生物学的なアプローチである。



例えば、集団で、助け合った、遺伝子群と助け合わない遺伝子群、そのどちらの生物の群れが生き残るのか科学的に研究することは、非常に重要なこの問題に対する科学的アプローチの一つである。

 

例えば、コンピュータシミュレーションなども可能かもしれない。

 

この二つのアプローチの違いは、数学の世界に話を移すとわかりやすい。

 

例えば、

 

f(t)=t^2
 

という時間関数があったとする。

もし、この関数の中身が分かっていれば、我々は、特定の時刻の関数値を知るためには、tに特定の時刻を代入して計算すればよい。

我々は、個別の時刻の関数値を知らなくても、いつでも、必要な時刻の関数値を求めることができる。それは、我々が、この関数についての、f(t)=t^2という「真理」を知っているからに過ぎない。

 

だが、我々がもし、この関数についての真理を知らなければ、もしくは、知るすべを持たなければ、どうか。

 

我々は、個々の時刻の関数値を調べ、その時刻と関数値の対応から、真理を推測する必要がある。

 

歴史研究の重要な意義とはまさにそこにあるのであって、複雑系である地球の振る舞いをすべて、解き明かす真理に我々が永遠に至ることができないだろうという前提、そして、現実に今は、全く至っていないという現実から、極めて重要なのである。

 

従って、くどいようだが、歴史研究が重要なのは、我々が如何に努力しても、完全な意味で学問的真理に到達できないからであり、歴史研究と学問的真理探究のアプローチがその意味で、相互補完の関係にあることは明らかである。しかしながら、学問的真理の側面から決着がついたことについては、歴史研究はその間違いを糾すこと以外ないことは明らかである。

 

従って、例えば、先ほどの国家の例に立ち返れば、

 

国家が、群れがお互いに助け合った方が、群れ自体の生存率が上がるという極めて合理的な生物の判断に基づいていると判明した後は、

 

たとえ、どこかの遺跡に

 

「国家を指導者のために作った」

 

という文字が書いてあったとしても、その意味は、限定的なものであり、単にそれを書いた人間がそう思っていたというだけのことであることは明らかである。

 

その意味で、過去の文献も、遺跡も、学問的真理自体を覆すことはできない。

だが、もし、学問的真理に誤りがあれば、それを糾すという役割がある。

 

そして、何より、我々が、全体として、学問的真理に至ることは、極めて困難なので、歴史的アプローチの重要性は明らかであるが、それは、学問的真理に至るためであることを忘れてはならない。



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wadatsumipress at 19:40│Comments(0)菊地英宏 

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