二〇一六年一月三〇日

憲法はじめとするすべての法律は、なぜ存在するか。

週刊SPAによると、119日、14時から衆議院第一会館地下会議室にて、「憲政の常道(立憲政治)を取り戻す国民運動委員会」(略称・民間「立憲」臨調)の発足記者会見が行われた。

 

同記事によると小林節氏は、

「戦争法案が動きだしたときに、我々は何度もあらゆるところで公開討論を要求しました。でも彼ら(安保法制賛成派)は出てこないんですね。

出てこなくて、そして、我々の発言者を1人づつ言論の場から退場させる動きをしてきた。それに対しては本当に私はすごく腹が立っています。ですから、これからも公開討論を提案していきたいと思います。マスコミの方たちもそれを覚えておいて、(彼らに)『言ってたよ』と伝えてください」

と発言している。

記者会見の冒頭に「我々は政治運動をするつもりはありません」と述べた小林節氏本人が、“戦争法案”という言葉を使うあたりは、やはり、杜撰な仕事をする人間だということを筆者は再認識したが、以下の小林節氏の発言は、学者の発言とは思えないので、取り上げることにする。

 

小林氏は以下のように述べている。

憲法とは主権者の国民が権力者を縛るもの』と言った途端に、『あ、私たちはそういう憲法観は取りません』とスポーンと話が飛んじゃう連中がいる。これはただの無知蒙昧ですから、そういう人たちとは公開論争で一戦を交えることは試みますけど、そういった人たちはさすがに(民間「立憲」臨調にはお声がけしませんでした。それ以外の人たちは、かつての私の論敵もお声がけしています」

 

果たしてそうだろうか。彼は、法律や行動規範がなぜ生まれたのか基礎的な生物学的見識を持っているのだろうか。僕は、著しく疑問に思う。

 

生物学的な人間の生存戦略を抜きにした法律論争は、学問的真理にそもそも基づかないので、単なる小学生の遊びであって、学問ではない。

 

結論から言うならば、法律や行動規範といったものは、憲法も含めて、遺伝子群を構成する個体すべての行動を制約する。これは、群れの行動をある程度コントロールすることによって、遺伝子群の生存確率を上げるための生物の一員としてのホモサピエンスの選択である。従って、憲法や法律により制約を受けるのは群れの構成員全員であり、そもそも、憲法はじめあらゆる法律体系は権力者の行動を国民が縛るためのものではない。

 

法律がそもそも、何のために存在するか考えると、

 

なぜ、殺人をするといけないか。という問いに対する答えも容易に見つけることができる。

 

殺人が、法律で禁止されるには、生物学的な裏付けがあるのである。

 

それは、

 

生存繁栄のためのエネルギーを無駄遣いする遺伝子群(群れを構成する遺伝子)は滅びる

 

という原則に対応したものである。

 

このため、必要以上に好戦的な遺伝子は、法律によって、人間社会から排除される。

 

したがって、遺伝子群の利益に合致する殺人(例えば、戦争行為で敵を倒すことや、犯罪者の犯罪行為を阻止するために警察官が犯罪者を射殺すること、正当防衛など)は、法律的にも肯定されなければならない行為である。したがって、法律はそのように構成されている。

 

つまり、法律にそれが書いてあるので、そのような制約があるのではなく、生物学的な遺伝子群としての国民の生存戦略に適合するように法律を書き、そして、効力を与えているという認識こそが正しいのである。

 

つまり、全ての関連する法律は、主権者を構成する遺伝子群の生存と繁栄を補助するために存在しているに過ぎない存在である。

 

なぜならば、群れこそが、全ての法律に効力や力を付与している力の根源であるからである。

 

従って、小学生の遊びではなく、本来の学者ならば、以下の問いに即座に答えることができないといけない。

 

憲法を含めたすべての法律の条文は、直接的に群れ(遺伝子群)全体の生存権を侵害することができるか?

 

答えは、できないである。

 

全ての法律に力を付与しているのが主権者全体(遺伝子群)であって、その全体の生存権を直接的に侵害する条文は、如何なる、正当な手続きを踏んでも定めることができない。

 

という認識を持つことが正常な学者としての判断である。

 

このように考えれば、憲法9条について、学者が展開すべき神学論は、明らかであるように思う。

 

生物学的に、生存に適した法律を持たない群れは滅び、そして、適した法律、行動規範を持つ遺伝子群が生存してきた。このため、すべての法律が存在するその存在意義は、群れの生存である。従って群れの生存権を否定する法律や憲法は、いかなる手続きを経ても制定できないことは、自明である。

 

このことは、さらに深く考えると、法律が法律として存在するための守るべき要件として提起することができる。

 

それは、

 

ⅰ)すべての法律は、群れの生存権を直接的に侵害してはいけない。

ⅱ)すべての法律は、群れの多数が望めば、変えることができなければならない。

ⅲ)すべての法律は、自然界の法則に反してはいけない。

 

この三要件を満たさない法律は、如何に正当な手続きを経たように考えられても、定めることはできないし、仮に定めても効力が発生することはない。

 

憲法九条は、国家を構成する日本国民全体の生存権の否定であり、従って、これが、効力を持つことはない。事実、解釈改憲により、日本国家は、独立以降、自衛力を持ち、戦後、9条は直ちに効力を停止されたという認識こそが正しいのである。

 

即ち、国家国民にとって、群れの生存と存続は、絶対の善であり、その目的のために、すべての法律体系は存在するのである。

 

このことが「立憲」の方々に理解されないのは不思議で仕方がないのだが、主権者が定めてもいない憲法をもとに立憲主義を説くのだから、その杜撰な論理からは、以上のようなことが理解できないのは、仕方がないと認識するほかない。

 

 



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wadatsumipress at 03:09│Comments(0)菊地英宏 

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