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二〇一五年二月二〇日

集団的自衛権と集団安全保障について

はじめまして。
この度、当ブログで執筆させていただくこととなりました”徳望 史夫”ともうします。
他の3名の執筆者とは異なる視点から、現代社会を見てまいりたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

さて、今回は集団的自衛権および集団安全保障について



述べてまいりたいと思います。

<集団的自衛権>小沢一郎「何を使うの?それは武力でしょ。だから意味が分かってないんじゃないか?メディアも」5/12定例会見(文字起こし)

http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3712.html


このようにメディアでも使い方がいまいち不安定のようですが、

"
集団安全保障と集団防衛の相違
集団安全保障 集団防衛
抑止と制裁の力学 力の優位 力の均衡
脅威の所在 体制内 体制外
脅威の性質 不特定 特定
脅威の内容 侵略的意図 増強する能力
評価(長所) 安全保障のジレンマを緩和 高い実効性
評価(短所) 低い実効性 安全保障ジレンマを助長
制度的枠組

国際連合 / 国際連盟
米州機構 / アフリカ連合

北大西洋条約機構
日米同盟 / 米韓同盟

"
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E5%9B%A3%E9%98%B2%E8%A1%9B より

のように、同じようで微妙に異なるようです(集団的自衛権の筆頭がNATOを指すので集団防衛を集団的自衛権と読み替えていいと思います)。

「地球の裏側までいくのか」などといろいろ議論がありますが、私は決して「国際的な責任」を果たすためにも日本の防衛力を国際社会で活かさないわけにはないと思っています。

日本の憲法前文にはこうあります。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安 全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地 位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

日本国憲法では、これからも分かるように集団安全保障を意識しているものと解釈されます(一部の勢力はじっとしていれば平和になるというので...という論もありますが、これは変です)。
憲法9条を代表とし日本国憲法では、「自衛隊は違憲である」とする解釈がありますが、制憲時にはGHQの「防衛力なしに国家の安全を保障することは不可能」であると想定されていたという証言もあります。
いわゆる「芦田修正」がそれにあたります。

そもそも私は「自衛権」を「集団的」「個別的」とする二項対立が変であると思います。


今の日本は国連加盟国です。

某国が日本を攻撃すると、おそらく国連安全保障理事会ですぐに審議に掛けられるでしょう。実効性はさておき、すでに集団安全保障が発動され、可決されれば湾岸戦争のように直ちに多国籍軍が編成され戦争となるでしょう。


また日本は日米安保条約を締結しています。

日本が危険にさらされれば、条約第5条および第6条によりアメリカが履行することでしょう。これは集団防衛(集団的自衛権)の発動によるものと解釈されえます。


このことからも、現代社会において「自衛」とはすぐに「集団安全保障」および「集団的自衛権」の話に広がってしまうわけです。


湾岸戦争での日本の対応は、国際的非難にさらされてしまいました。

このことからも日本は安全保障に関する法整備をすることは、避けて通れないと思えます。


集団的自衛権―安倍政権との違いはなにか?

http://blogos.com/article/88388/


ここにもあるように、集団的自衛権を行使するに当たる「ルール」をつくることが不可欠と考えます。


”日本が「どこでもすぐに」戦争する国”にならないためにも、決まりをつくるのがいちばんです。

極端な「賛成」「反対」に陥らないために、細かく検討していただきたいと思います。



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wadatsumipress at 23:59│Comments(0)徳望 史夫 

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